2025/08/24 07:00
ポチとの記憶、こたふくとの毎日から生まれた石鹸
こたつとふくと暮らしていると、毎日のお手入れが当たり前になります。散歩から帰って足を拭くときや、シャンプーをするとき。
ただ汚れを落とすだけじゃなくて、
「犬が不快にならず、安心して触れ合える時間」にしたいと思っています。
その気持ちから、小多福堂の石鹸づくりは始まりました。
小さな石鹸ですが、
触れる時間をやさしく変えてくれる、大事な存在です。
震災で知った光景
その想いの根っこのひとつに、震災で知った光景があります。
ニュースで報じられていたのは、
一緒に避難できずに置いていかれた犬や猫、
牛や馬、鶏や豚…。
彼らを育て、共に暮らしてきた人たちが、
泣く泣く背を向けなければならなかった現実でした。
「助けたい」
「連れて行きたい」
そう願いながらもできなかった、その苦しみは、
動物たちと同じくらい深いものだったと思います。
だから私は、同伴避難できる施設を作ることを目標にしています。
誰も大切な命を置き去りにせずに済むように。
飼い主さんも動物も、安心して一緒に守られるように。
ヒグマのニュースから考える
そして最近、ヒグマの出没や駆除のニュースを目にします。
人を襲う被害も実際に起きていて、亡くなられた方もいます。
その悲しみや恐怖は、言葉にできないほど大きなものだと思います。
だからこそ、人を守るために「駆除するしかない」と判断されることがあります。
実際に現場で駆除にあたるのは、地元の猟友会の方々。
本来は山や野生動物と向き合い、自然を守ってきた人たちです。
けれど今は、人を守るために銃を手に取り、命を絶たざるを得ない状況に置かれています。
先日も、子熊が二頭射殺されたというニュースがありました。
その引き金を引いた人の、言葉にできない苦しみや葛藤を思うと、胸が締め付けられます。
きっと誰も、命を奪うことを望んでなんていない。
それでも「守らなければならない」からこそ、その苦しみを背負わされているのです。
だから私は、どうしても「クマが悪い」とは思えません。
本当の原因は、森の木の実が減り、生息地が削られ、人間の食べ物を覚えてしまった──
そんな環境を作ってしまった、私たち人間の側にあるのだと思います。
命を置き去りにしないために
犬も、牛や馬も、鶏も、クマも。
人間の暮らしは、どの命とも切り離せません。
だからこそ、
「仕方がないから殺す」「仕方がないから置いていく」ではなく、
命を置き去りにしなくてもいい仕組みや環境を
人間が考えていく必要があるのだと思います。
あなたはどう思いますか?
小さな石鹸に込めた願い
小さな石鹸からできることは限られています。
世界を大きく変える力はありません。
けれど、犬が不快にならず、飼い主さんが「大丈夫だよ」と手をかけられる時間を増やすこと。
その小さな積み重ねなら、私にもできます。
私にできるのは、石鹸を通して寄附したり、こうして思いを伝えたりするくらいのことです。
それだけで世の中の問題すべてが解決するわけではありません。
でも、小さな行動が積み重なれば、
「犠牲ではなく、共生を選ぶ社会」に少しずつ近づけると信じています。
命を置き去りにしなくていい世界へ。
その願いを、私は小さな石鹸に込めています。
小多福堂